古事記の宇宙第9回

 

 

 

 

なるほど

信長は忌部氏なんだ

 

夕べ書こうかと思ってたことがさ

 

阿波忌部は

 

阿部じゃーーーんってこと。。。

 

第六天魔王だしね。。信長。。

 

 

信長 - Google 検索

 

忌部氏 - Wikipedia

 

石上神宮も出てきちゃったしな、、、、

 

 

ちょっとこれを見終ってから調べてみよう

 

 

 

 

 

起きている時に今までみたいに調べるのをやめてるんだけど

起きて調べてると彼らの匂いがしてくるので、、、

 

なのに、

 

だのに、

 

 

今は寝てる夢の中ですっごい調べてるし、

 

現地にも向かってる

 

電車を降りてホームにすくっと立つ自分の足を見たりとかさ

 

なんとまあ。。。

 

 

で、それがまたいがいに

 

ほほーーーーっ!みたいな感じで

 

寝てる自分が感心してるの。

 

 

そう、

 

私は寝てても意識は起きているの。

 

インディアンの夢見の技法ですね。

 

これやろうとチャレンジしてた時期があって

 

できたのね。

 

夢の中で空を飛ぶことができたんだけど

 

そのときも途中で怖いことがあって

 

やめとこ、、、って、やめたんだけど

 

軽いのは普段からもうできちゃってるの

 

だから夢の中で探すことも可能なの

 

ホームを降りてすくっと立つ上から見たつま先がそれを教えてくれた。

 

まあ、、そうして調べる方が

 

普通に調べるよりも

 

異次元にもイケるし、

 

過去にも未来にも行けるのよね

 

 

忘れてた、、、

 

 

すげーーー

 

 

今度はもっとちゃんと意識して寝よ

 

でも、またそんなことしてるとそのうち怖いことになるかもだけど

 

だって私は戻り方を知らないからね、、、、、

 

 

 

ええと、しばらくは誰にも見つからず書き続けたいので

 

見つかりそうなキーワードはみんな伏字にしとく

 

特にアクセスあげにくる彼らには見つかりたくないわね

 

ってことで

 

忌部氏

 

私が思うとこの忌部氏

 

三木

八木

(白鳥)

(吉備)

大麻比古神社

っていうと、

我が家の名前もそこらにいるのよね

 

で、ウィキとかには

 

阿波忌部

安房忌部

 

あわのいんべ

 

 

出雲忌部

紀伊忌部

讃岐忌部

 

 

古語拾遺』では

安房に移住した阿波忌部が「安房忌部」となったように記されているが、

古代史料では安房郡司や安房神社神職など在地関連人物で忌部氏の存在は知られず、

 

むしろ安房地域に勢力を持ったのは

膳大伴部(かしわでのおおともべ、単に大伴部とも)であったことが知られる。

 

この膳大伴部は、『高橋氏文逸文[原 15]によれば

 

膳氏(かしわでうじ、のち高橋氏)に統括されて

天皇の食膳調達にあたったという部民氏族で、

その人物名は国史[注 4]・『先代旧事本紀[原 16]平城京出土木簡に散見される[5]

 

特に、阿波国造安房国造)も同氏族の大伴直氏(伴直氏)であったことから、

安房神社の祭祀および安房郡司はこの一族が務めた可能性が高いと考えられている

 

 

膳大伴部

かしわでのおおともべ

これひとつ見ても我が家の名前が二つ思い浮かぶ

 

安房神社のすぐそばにも白浜

まあちょっと離れてはいるけど、反対側の先っぽにも我が家の名はある

 

別の読み方をすれば ”かしわ” だ。

 

とりあえず我が家にも引っかかってくるけど、

とりあえず忌部氏を細かく調べたことがないので

ちょっと忌部のお勉強。

 

阿波忌部の末裔である三木

 

忌部氏が司る事業は、水銀、大麻と非常に危険度の高いものばかり、

「忌むべきものを扱う」氏族という名前になったと見ている。

それ中臣氏と並ぶ祭祀「忌事」=シャーマニズムの氏族だったゆえんもあろうが。


そもそも「忌む」「忌事」という言葉こそは、

こうしたトリップ用品を扱うことに起因していたとも見て取れる。

 

今、神社で大麻といえば、火をたき木を燃やすわけであるが、
あの木片がまさに大麻と呼ばれており、
そもそもは大麻などを燃やして神がかりしていたのであろう。
 
日本で合法的に麻を栽培できるのは学者とこの三木家だけである。
(上垣外2011)
 
徳島県の若杉山一帯地域を那賀という。
対面する紀州名草にも那賀があり、
 
互いに古い往来があって、とみに海人族の拠点であったと思われる。
 
これを平らげて支配したのは紀ノ川河口部の紀氏である。
彼らも海人系の九州由来氏族であろう。
 
武内宿禰子孫であるので、おそらく隼人系である。
 
ということは
住吉・三島信仰つまり
海の神とオオヤマツミを奉じた氏族だっただろう。
 
 
あ、、もうちょっとこれだけでおなかいっぱい
 
 
あーなんかこれ、、
 
”麻ことのはなし”風味だな~~~
 
忌部氏はそういう風味だな~
 
こちらを隠すために
 
あちらにまったく同じ配置で重要なものを作り
 
テーマパーク化した
 
誰もがそっちに向いてしまうように
 
 
うん。
 
そしてこちらを隠したのは
 
佐伯氏の空海もだ
 
佐伯
 
栄木
 
斉伯
 
斎木
 
斎部
 
忌部
 
 
 
 みなあちらが本場と思っているけれど
 
あちらはみんな偽者FAKE
 
このあちらとは
 
今現在私が住んでいる土地のことさ
 
ここは
 
ハリボテノトチ
 
 
 

 

 

 

 

阿波忌部氏

天日鷲命(あまのひわしのみこと)

  • この神は、開運・開拓・殖産の神として崇められている。
  • 神話で知られているのは天照大神が天之岩戸に入られたとき岩戸の前で神々の踊りがはじまり、この神が弦楽器を奏でると弦のさきに鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥をあらわす鳥といってよろこばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。
  • この命は、忌部氏の祖として、阿波の開発・殖産に功のあった神で、今日、徳島県麻植郡山川町に残る伝承に、紙の祖神として山川町高越山に高越神社としてまつられている。

阿波忌部氏

  • 忌部とは後に斎部とも書かれたように、神祇祭祀に携わる部民のことである。
  • 天日鷲命の子孫
  • 213年、阿波忌部の始祖・千波足尼が粟国の国造りを始める。
  • 4世紀頃、忌部氏が粟国を治めるようになる。
  • 主な阿波忌部氏としては、三木氏、忌部神社の祭祀に携わった麻殖氏、笠井氏がある。

三木氏

  • 阿波忌部氏の直系
  • 南北朝時代には、剣山を中心に山岳武士として勢力を持っていた。
  • 45通の中世文書が残っている。
  • 天皇即位後の大嘗祭(だいじょうさい)に御衣御殿人(みぞみあらかんど)として麁服を貢進する役に携わってきた。その姓も貢、御調に由来している。
  • 住宅は武家の系譜をひく家の遺構として価値が高く、1976(昭和51)年2月、国重文に指定された。現在でも28代当主が屋敷を守っている。
  • 三木氏の主な支配地域であった三ツ木村は明治22年に、川井村、木屋平村と合併し、現在の木屋平村となっている。

 

「阿波志」に

「八幡祠平村森遠名に在り、

俗に言う土御門天皇を祀ると地丘陵にあり、

祠中偃月刀及び古冑を蔵す、

阿部宗任持つ所」

 

と述べている。

 

 

 

 

 大麻比古大神とは、

大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。
神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて人々の福利を進められました。


その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。この神社が今徳島市忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳をたたえて麻植の神と申して敬ってきました。


忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で此の神様を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが大麻比古神社と伝えられています。
 
猿田彦大神とは

天孫降臨(てんそんこうりん)の時その道案内の役をつとめられた神様で、昔大麻比古神社の裏に聳えている大麻山(おおあさやま)の峯にお鎮まりになっていましたが、いつの時代かはっきり判りませんが大麻比古神社に合わせまつられたと伝えられています。


猿田彦の神様は私共に親しみの深い神様です。おまつりの時、神輿(みこし)の先頭に立って天狗のお姿をして神輿の先導をされている神様で、人々や土地のまわりに立ち塞がり、災難や禍をもたらすものを祓い退けてくださる神様です。

 

 

 

 

大麻山も登りたかったけど

一人だったし、登るのに1時間以上かかるとの事と

着いた時間が3時ごろだったことと

なによりも野生の猿が多くてあきらめたのよね、、、、、

 

このときの旅行は忌部旅ではなく

 

吉備・丹生・白鳥・白山・東讃富士の旅でしたのよね。。。