この世あの世

マニ教に通じるものもあるのね。

 

それよりか途中からの臨死体験でたとえで出したひとつの話は

臨死体験というよりも

幽体離脱とインディアンの夢見の技法だなーと思った。

 

もう途中までしか見てないけど↑

 

んで、

 

で?

 

 

宗教やスピ系に皆さん何を求めてるの?

 

 

たぶん思うに

 

死を恐れている人たちなのかな、、、、、

 

一番怖いのが

”死”で

 

その他にも

いろいろ普通の人が恐れていることはたくさんあると思う

 

私がいろいろいろいろ調べてわかったことを書いてしまうと

金儲けができなくなってしまうから

宗教、スピ系の人にとってはとっても邪魔くさいお話だと思う

だから、今まで、まあ少しは書いてたけど

 

 

ある時から書くのやめた

 

 

だって、みんなが必要としてるのは

 

覚醒じゃなくて

 

覚醒ごっこと金儲けだから

 

 

そこも分かれ道だよね

 

そうしている人たちの中でも気づいている人はいると思うのよ

 

でも

 

やめないのは

 

お金が欲しい

仲間が欲しい

名声が欲しい

 

 

まだまだそこにとらわれているからだと思うから

そこから離れることができない

 

だったら離れなければいいじゃない

いつまでもそこにいればいいじゃない

 

そう思ったから

書くのをやめた。

 

今こうして書いてるだけで

なにがどうとは書かない

私がこう思っているだけーって話。

 

世界なんか変わらない

覚醒ごっこで世界が変わるはずないじゃない

 

こう思って、こう思わなくちゃならない

”次元” (>_<) から

 

離れている人もいるんだろうかと思うけど

 

”次元”?

 

いわゆるレベルでしょ

 

私のように感じている人もいると思うけど

そういう人はもう、みんな、こんなことを考えないで生きていると思う

 

私とは?

 

とか

 

生きる意味は?

 

とか

 

 

そんなんが、一番の金儲けの種

 

私も今一番混乱してるところなんだけど

 

同じような混乱は何度が通過しているけどね

 

結局は

 

どこへ向かうかの話

 

なんでもそうなんだけど

 

たとえば,何かを調べている

 

右往左往しながら何とか答えらしきものを見つけた

 

そこで

 

見つけた!!!!と、それ以上調べることをやめてしまえば

そこがその人が得た答えなんだけど

 

ももうちょっとほじくると

まだまだ調べることがあるのよ

そう簡単には答えは見つからないの

 

それをえんえんと繰り返す

どこまで突き詰めたら、本当の答えにたどり着けるの?

 

そうして調べ続けるか

 

その時々に見つかる大きめな答えで終わらせちゃうか

それによって、、というか

 

その、時々に見つかる大き目の答えが

 

(((( 分かれ道 ))))

 

なんだと思うの。

 

まあ、そうだな、、、

 

宗教

 

心理

 

スピリチュアル

 

この世の中の作られてるベース

 

何を基本に、

 

イコール

 

なにが、

 

どこが、

 

一番 ”儲かるように” 作られてるか

 

 

って、いったら

 

 

宗教なのよ

 

宗教ってもんを作り出した人たち

 

宗教って結局名前や、

ちょっとした教えが違うだけで基本同じでしょ

 

あとはその頭に立つ人の人柄とか

どんだけ奇跡的なことを起こせるかとか

 

ココに貼ったかな、、

 

アフリカの信仰の中で

儀式の中で

 

生きたニワトリをそのままみんなのまでがつがつ食べちゃうの

 

腸とかびろびろーーーって出て来ちゃって

周りにいる人は、うわーーーって顔してる人もいれば

まあ、笑っている人もいれば

いろいろなんだけど

 

結局それもちょっとした、恐怖でしょ

 

普通はしないって、、、ってとこでさ

 

そこで何らかの意識の中にさ、

その儀式を行ってる人たちへの

なんともいえない感覚が生まれるわけでしょ

 

 

 

 

これはそれじゃないけど、

 

 

 

それはこれだけど

2度は見たくないわね

https://youtu.be/iUaY1WIdMpU

 

 

今でもこういう感覚を抱く

村社会が嫌い

団体行動が嫌い

でも

アフリカの素敵な布や、

土色や土でできたお家(土壁とか)

砂埃の味

そんなのが好きな所

 

そんなものはちゃんとDNAや細胞の記憶として残ってる

 

そんなこんなも含めての父の教え

 

”みんなと一緒になるな”

これはすばらしいでしょ。

 

人と同じになるのが一番だめなこと

これをね、いわれてた。

3歳くらいか自分でも覚えてる

3歳の私にも父は人と同じなるなって教えてた

 

ちっちゃなことだよ

 

父 お人形さんを買ってあげる。どのお人形さんが欲しい?

私 りかちゃん!!

父 なんでりかちゃんが欲しいの?

私 ○○チャンもってる!

父 そうか~○○チャン持ってるのか~。じゃー他のにしなさい。

 

これは私が小学校になっても続いて

小学校高学年には、

私はもうすっかり人と同じ物を持つことも

することもいや!って思うようになっていた

 

これって、一番大事。

 

だってね

人と自分を比べたとしても

人と同じであることを嫌がるようになってるわけだから

あの人はこうなのに、自分は違う、、

とか

あの人はこれだけ持ってるのに、私はこれも持ってない

とか

そうやって比べて、人をうらやましいと思うことがないから

 

私は私

あの人はあの人

 

そうやって考えることができるから

 

とにかく、人をうらやむ気持ちって言うのが

良い物とはいえないよね

 

でも、人をうらやむ気持ちっていうので

 

さあ、、

 

この作られた社会では

 

この人をうらやむ気持ちっていうのが

 

イコール

 

向上心という(欲)に繋がるわけでしょ

 

うまくできてるよね。

 

 

私は小さい頃からそんな世の中を斜め45℃視線で見てきたの

 

だもんで、こないだチラッと書いた

 

いわゆる普通の人の言う幸せってものから縁遠くなったのかもしれない

 

別世界よ。

 

はなから別世界よ

 

所詮はなから別世界よ

 

(>_<)

 

 

仲間を作ろうと思えば作れるけど

 

私と同じような考えの人と集おうかと思ってもいいけど

 

集う必要はないのよ

 

結局つどってどうなるのかと言ったら、

あれは違うよねーこれは違うよねーって話だけ

それ以上はないのよ

 

そこで、仮にもっと高みをとか言い出したら

 

カワンネーって話。

 

それもこれもすべて踏まえて

そういった世界とは一線を引いて

 

うんぬんかんぬん、、、、って

考えてる時点で

カワンネーーーって思ったりもするのよ

 

それはきっとまだ、根っこの洗脳が取れてないんだわよね

 

この洗脳は世の中の仕組みによって無意識に植えつけられてしまってるもの

 

早くココをとりたいけど

とってしまったらいったいどこで生きていけっていうの?って、レベル。

 

 

 

さて、どうなりますかね。