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マンディンカ✡リアルフリーメーソン

escapejama.blog.so-net.ne.jp

 

 

 

フリーメーソン

聖書が書かれる前の物と後ではまったく

違ったものになっているんだろう

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/freekigenhtm.htm

 

フリーメーソン自体ものっとられたというか、

記紀と同じで、神武以前は消された”欠史八代”と同じで

日本の神話や記紀旧約聖書新約聖書

ちゃんとつじつま合わせのように共通イメージで書かれてるんだろう

 

ま、その辺はわからないし、ちょっとおいといて

 

仮に”フリーメーソン”と言う名とその団体をヨーロッパ起源としよう

 

ももともと太鼓の昔から、石・岩を扱える集団がいた

彼らがエジプトのピラミッドとかを作った集団だとしよう

その彼らを仮に古代フリーメーソンとしよう

どの時代にも古代フリーメーソンに建設依頼を出していた、王族があったとしよう。

 

今でいうとすれば

古代フリーメーソンは ”大手建設会社”

大手建設会社には創立者がいて社長がいて以下上層部がいて

デザイナーがいて

現場監督がいて

各資材の専門家がいて

大工の棟梁的な伝統技術を持った人たちがいて

彼らの下に弟子入りする伝統継承のための職人集団があって

専門職、伝統継承以外の雑用、誰でもできるような仕事をする日雇い人がいる

 

ココに金持ちの王族が今一番人気の建築物を作ってくれと依頼を出すわけだ。

たとえばそれを森ビルとしよう

森ビルの社長のようにあっちにもこっちにもでかいビルをバンバン建てる

建てるっていっても森ビルの社長が建てるわけじゃない

あくまでも建てるのは

古代一番の最有力人気建築会社である”マンディンカ”

王族でもあるマンディンカは同じような王族から仕事を請け負い

ピラミッドも建てたし、巨石祭祀場、立石、ストーンサークル

墳墓、古墳、洞窟、石の神殿も建てた

依頼されて作るわけだから、マンディンカ自身の信仰などは別に関係なく

依頼先の王族の信仰に合わせて、どんな物でも作ったんだろう

 

そこが世界中で人気だった理由だろう。

 

そのマンディンカは日本にもやってきたのだ。。。

 

石舞台古墳

益田岩船

石の宝殿

たぶん、飛鳥の亀石とかあの変の巨石も彼らの作った物だろう

見本だったかもしれないし

練習や訓練の後だったのかもしれないし

それもわかんないけど

長い長い暦をがすぎて、また同じような民族の流れが会った時

行く先々で出会う先祖が作ったであろう物・遺跡

もはや木に覆われてしまった人工のピラミッド

洞窟を作るために作った人工の山

先祖が作ったであろう物を発見したときの驚きと喜び

長い長い時が流れて

もしや外見は少し変わってしまっているかもしれないけど

そこここ、ところどころに残る面影を見つけて

己の体の中に眠る細胞の記憶が一つ、二つと目覚めただろう。。。

 

 

フリーメーソンの「フリー(自由)」の語源には、2つの説がある。
 一つは先に述べた「労役・税金の免除」説である。

こうした免除の特権を与えられた者のことを「自由民(freeman)」と言う。

ここから来たという説だ。

また、フランスにおいては、

各地を移動する行商人や巡歴職人達に、

「移動の自由の保証(franc-metier)」の特権を与えることがあった。

当然、石工達も、あちこちを移動するわけで、彼らにもこの特権があたえられた。

この免除の特権と移動の自由の特権を合わせたものが「フリー」であり、

ここから来ていると言う説である。
 

もう一つは、

建築の石材として、フリー・ストーンと呼ばれる軟質の砂岩や石灰岩を用いることがあった。

この石材は高価なのに加え、細かい装飾が可能なため、芸術的才能と熟練した技を持った職人が使うべきとされた。

つまり、これは一人前の熟練工だけが扱うべき石材であった。
これに対し、修行中の職人は、

ロー・ストーンと呼ばれる固い粗石の加工に従事していた。
 そこで、フリー・ストーンを扱うことが許された一人前の職人達からなる団体をフリー・メーソンと呼び、ここから呼び名が来たのだ、という説である。
とは言うものの、正しいのはどちらか1つ、と言うわけでもあるまい。

おそらく、この両方が混じって、

フリーメーソン」の呼び名が誕生した、と言うのが

一番妥当な説ではあるまいか?

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/freekigenhtm.htm

 

移動自由の特権

どこへ行くのも自由だし、行った先々での衣食住保障とか

仮にそこでの仕事がとても長い時間がかかるものであれば

職人の家族ごと移動移住しただろう

 

それが日本ではエタ、ヒニン、カワタとか、

そういった部落に繋がっていったんではなかろうか?

”専門職従者”

 

で、現代の建築物を見たりしてもわかるでしょ

超高層が得意な会社もあれば

超地下都市みたいなのが得意な会社もあれば

ドーム型なら任せて!みたいな会社とか

石組みなら何百年続く当社へ!!とか

そうやって得意分野に別れていったんだろう

人工ピラミッドみたいなのが多い時代と古墳大ブームみたいな時代、

石の階段式ピラミッドなんかは古墳とピラミッドの中間みたいな感じだよね

その時代時代で、

ピラミッド派、古墳派で競い合ったり、争いあったりもしたかもしれない

今でもそうでしょ。。

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ふくべとは瓢と書いて瓢箪を意味します。

 

 

 

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#信じていたのにウソだった知識

ピラミッドは何万人もの奴隷達がムチで叩かれながら頑張って作った

ほんとはシフト表があって
連勤なんて無かったし
「飲みすぎて二日酔いだから休む」
とか
「今日友達の誕生日だから休む」
とかすっげーどうでもいい理由で休む人が多かった

 

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マンディンカの物語を
シタタメルノニムチュウデシゴトデケマセン。
大至急もう一度河内な飛鳥とそして、
河内国”にいかなくちゃだけど、
(どこだよ、河内は広いど~)...
もうゴールデンウィーク終わるまで洗い場休めないから
疲れてしまう前に行かねばだけど、
もうすでに疲れている。。。。

河内(
河瀬(小学校の同級生・現岐阜県である美濃などにみられる)
大河内(仕事のバイトをしに着てくれてた人)
三輪(みわ)中学のときの転校生
大神(おおがみ・おおみわ)縁のある人
美濃(みのうージェイスの赤ちゃんの時から中学までずっと一緒の子)
美濃口(みのぐちー同じくジェイスが赤ちゃんの頃やってたママさんサークルにいて、お店にクッキーを焼いておろしてくれてた子)
昔から私の周りにはこの文字・音が溢れてた

# 大河内(おおこうち)
・ 大河内はかつては「凡河内(おおしこうち)」と書いた。
・ 河内国の国造などにみられる。

おおしこうち
おおしこ うち

おおしこ=生石>石の宝殿)

 

 

 

 河内という名字は全国で527番目に多いようです。

およそ10万人に7人程度居るようです。

山口県新潟県広島県大阪府や東京都や神奈川県に多くいらっしゃるようです。

一概に河内さんの多くいるところが名字のルーツや発祥の地とは言えませんが、

何かしらいわくがある可能性は高いでしょう。

調べてみると何か見るかるかもませんね。

そして順位や神奈川県や岡山県に移り住まわれた方が多いようです。

その後全国に広がっていったと思われます。

なまえさあち - 河内さんの都道府県毎の人口・世帯数一覧

 

 

 

西漢氏の支族で朝鮮半島伽耶地方から河内国に渡来してきた氏族。

百済本紀』に安羅日本府の倭臣として「加不至費直」という人物を記している。

河内氏は5世紀末ごろに帰化/渡来し、

ヤマト王権軍事外交面で仕えたと考えられている。

飛鳥時代後期(7世紀後半)には河内国河内寺(現在の東大阪市)を建立。

伽藍(がらん)配置については

北から南に一直線に講堂、金堂、塔、中門が並ぶ「四天王寺式」だったと

推測されている。

本拠地は河内国河内郡

河内氏 - Wikipedia

 

祖先の領地を称号とする、地名から発したものなどがある。

清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、

桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏桓武平氏)、

中臣鎌足天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)、

美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられることに始まる橘氏などがある。

他にも全国の河内地名より多流の起源(ルーツ)がある。

また、現広島県西部である安芸国佐伯郡河内村が起源(ルーツ)である。

近年、現広島県西部である安芸地域に多数みられる。

河内に関連する氏は多い。

 

 

 

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発掘の現場は、市内河内町。

瓢箪山駅と枚岡駅の間で、電車が大きくカーブする
内側にちらっと見えます 徒歩で、瓢箪山駅から北東10分のところにあります

 


建てられたのは飛鳥時代後半!

発掘の結果、一番古い瓦は飛鳥時代の特徴がありました。

どうやら、7世紀半ばから末にかけて建てられたようです。

 

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素弁八葉蓮華紋 軒丸瓦   

埋蔵文化財センター提供  

 

 

仏教伝来が6世紀半ばで、

最古の本格寺院である法興寺(のちの飛鳥寺)が6世紀末といわれています。 
そんな日本の仏教興隆の初期に、古代寺院がここにあったことが明らかとなりました。

 

 
 

 

幻の古代寺院「河内寺」 前編 | 東大阪市市民活動情報サイト スクラムは〜と

 

www.sankei.com

 

国史跡 河内寺廃寺跡

大阪府東大阪市河内町7−13

Google マップ

瓢箪山

石切劔箭神社

大阪府東大阪市にある神道石切教の神社。

石切劔箭神社(石切さん)

 

news.mynavi.jp

 

 

長髄彦との関係

神社の公式な見解には無いが、

進藤治によると「石切さん長髄彦と深いかかわりがある。」

石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」等の口伝があるという[2]

進藤は「石切」の音を i-si-kir・i と分解しアイヌ語で解釈することで、

長髄彦」と訳出可能であることを指摘する[3]

同じ結論を大山元も指摘しており、

「石切」 i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという[4]

 

ナガスネ

naga snake

 

 

河内寺(こんでら)廃寺考�U

この集落の跡や、群集墳から出土した物には、ある特徴がありました。土器は韓式系土器や、登り窯で焼いた須恵器が多く発見され、住居跡には朝鮮半島由来の造りつけのかまどが見られます。

 ※韓式系土器=朝鮮半島
  の土器づくりの影響を受けた土器
先進技術を受け入れた土地だった  

河内寺が建てられたのが7世紀の中頃から末にかけてです。

仏教が広まるごくはじめのころ、

この地に大きな寺院を建てる力をもっていたのはどんな勢力なのでしょう。

これを探るため、時代を少しさかのぼってみます。
 
 河内湖のほとりの生駒山西麓には、縄文・弥生の遺跡が多くありますが、

古墳時代の5世紀から6世紀にかけて、それまでとはつながりのない集落が現れます。


 また、鉄の製品をつくったときにできたと思われる鉄滓(てっさい・てつくず)や、ガラス玉をつくったと思われる石の鋳型など、当時の最新の技術が見つかっています。(植附古墳群・神並遺跡・縄手遺跡等)

 また、今まで日本にいなかった馬が飼われはじめ、生駒山西麓は馬の産地になっていたことがわかっています。

(山畑古墳群・出雲井古墳群等の馬具や、日下遺跡の馬の埋葬跡)

 このようなことから、日本の古墳時代に、中国大陸や朝鮮半島から争乱を逃れて来た人々が、河内湖のほとりに定住したと考えられています。

 

こぎ手の多い準構造船(滋賀・新開4号墳)
このような船に子馬を乗せて運んだのか・・・。 
 

渡来氏族 河内直(かわちのあたい)の氏寺か?

そのころの大和政権は、地方を従えようと策を練っていました。

その一つが氏姓制度(しせいせいど)で、血縁関係にあるものを中心に、

それに従うものを含めた氏(うじ)と、それをたばねる氏上(うじのかみ)を公けに認め、その氏に、臣(おみ)・連(むらじ)・君(きみ)などの姓(かばね)を与えることで中央に従わせようというのです。

 

朝鮮半島百済からやってきたと思われる河内氏の祖先は、

河内湖の低湿地帯の開拓などで地方豪族としての力をたくわえていましたが、

河内の氏(うじ)と認められ、直(あたい)という地方豪族に与えられる姓(かばね)をもらい、河内郡の大領(たいりょう=地方長官)に任命されたようです。
※河内直とは、個人名でなく、氏とその位をあらわす

 

この河内直の名は、すでに5世紀中頃に造られたと思われる『隅田八幡神社人物画像鏡』(和歌山県橋本町・国宝)に、『開中費直(かわちのあたい)』としてみえます。また、同じ頃、朝鮮半島の安羅で外交・軍事面にたずさわっていたことが日本書紀に書かれています。

この河内直という氏族は、7世紀の後半から華々しく活躍します。天智天皇のとき、河内直鯨(かわちのあたい・くじら)が、遣唐使として派遣されます。天武天皇のときは、直(あたい)姓から連(むらじ)姓へと大きな昇進をはたします。河内寺創建は、この河内直一族の興隆期にあたります。

吉備(きび)地方にあったエピソード


河内寺の創建の経緯はわかっていませんが、

当時の地方豪族と仏教のかかわりを示す吉備地方のエピソードを紹介しましょう。

平安時代のはじめに書かれた仏教説話集『日本霊異記(にほんりょういき)』

※に載せられた、

 

備後(びんご)国三谷郡の、ある大領(地方長官)の話です。

 

大領が活躍したころ、大和政権と親しかった百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされました。

 

日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)

 


遠山美都男著『白村江 古代東アジア大戦の謎』
    講談社現代新書 表紙 中川恵司氏作  

斉明天皇中大兄皇子百済を助けようと救援軍を募っていて、

三谷郡の大領はよびかけに応えて救援軍に加わります。

そのとき、「もし無事に帰れたら、立派な寺を建てます」と仏に誓いました。

  結果、救援軍は白村江で大敗したのですが、大領は命びろいをしました。

 
このあと大領は、百済の“弘済(こうさい・ホンジェ)禅師”をともなって無事に

三谷郡に帰りました。

おそらくこのとき、国を失った百済の技術者も連れかえったのではないでしょうか。

大領は、仏への誓いを果たすため、弘済禅師の指導で寺の建物を完成させました。

しかし、肝心の仏像がまだありません。

 

海柘榴市跡にあるタイル画  大和川で難波と直通だった。

  そこで弘済禅師は、大領から『宝』を預かり、みずから大和の都へのぼります。

そのころ栄えた市場といえば三輪山麓の海柘榴市(つばいち)でしょうか。

市場で仏像の材料となる金と丹(に=水銀)を買い求めます。

難波津から大きな船に荷を積み替え、備後国に帰ったというのです。

説話めいたエピソードですが、

現実には、広島県三次市の『寺町廃寺』がそれにあたると考えられています。

 

広島県三次市 『寺町廃寺』の復元模型  

  この話から、当時、仏教が地方豪族に広まっていたことや地方豪族の豊かな財力がうかがえます。また、寺の建設や運営に渡来人が大きな役割を果たしていたことがわかります。
  660年に百済が滅び、ついで668年に高句麗が滅びます。

その遺民が多く日本に渡ってきます。

河内寺を建てたと思われる河内氏は、新しい技術を携えてきたこれらの人々を受け入れ、さらに大きくなっていったのではないでしょうか。

河内寺の一番古い瓦が高句麗系といわれています。

大陸の動乱を背景に、一大ドラマがあったことでしょう。

 
その後の河内寺
 
  河内直の氏寺として創建されたと思われる河内寺ですが、その後、河内郡衙(役所)に付属する寺として栄えたようです。郡衙跡は、寺跡のすぐ北西の皿池遺跡群の中で見つかっています。現在の河内町、喜里川町、本町にまたがった範囲です。

河内連になった河内氏は、奈良時代の河内連三立麻呂のとき、河内國大進(だいしん)となり、ついには河内連一族としては最高の『和泉守(いずみのかみ)』に任命されています。それにしたがい河内寺は大いに栄えました。
  しかし、平安時代に入って、河内國の土地売券にある河内連の署名を最後に、文献に登場しなくなります。氏族の勢力が衰えてしまったのでしょう。保護者を失った河内寺は、当時栄えていた客坊の密教系の寺に取り込まれたのではないかと考えられています。

 

 そんな河内寺も、最後のときを迎えます。

河内寺は、ある日、山麓を流れ下る土石流に飲み込まれ、崩壊してしまったようなのです。発掘作業で、大量の土砂に埋まった瓦や椀が発見されました。瓦や椀の調査から、災害は鎌倉時代末期(14世紀初頭)に起こったものとわかりました。

埋もれた河内寺は、700年の時を経て、私たちの眼前に姿をあらわしました。

 

 

 石切剣箭神社 - Wikipedia

 

 

 

備後(びんご)国三谷郡 - Google 検索

神社の由来がわかる小事典 - 三橋健 - Google ブックス

備後国三谷郡 - Google 検索

 

あーやばい。

 

がんがん繋がる

 

 

 

亀石とかの理由
http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM097.html 

 

亀石を始めてみた中学生の私はすごく喜んだのでした。。。

 

 

弘済禅師 - Google 検索

 

青原行思 - Wikipedia

 

 

読売新聞社

大阪・河内寺跡
塔の礎石5基見つかる
◇焼失後も信仰対象か

 「河内」の地名の由来ともされる河内氏一族によって創建された大阪府東大阪市の河内寺跡から、塔跡が見つかったと二十二日、東大阪市教委が発表した。出土した瓦などから、飛鳥時代後期(七世紀後半)に建てられたとみられる。建物の基礎となる礎石が五基、ほぼ当時のまま残っており、専門家は「これほど保存状態が良い塔跡は少なく、氏寺の今後の研究の貴重な資料」と注目している。
 敷地の西側から出土した柱跡九か所のうち、五か所に直径九十センチ前後の礎石が残されていた。北側の東西一列は四基すべてが残っていた。塔の基礎部分は、他寺の塔と比較するとやや規模が小さいが、市教委は高さ二十―三十メートルの三重、または五重塔が建てられていたとみている。
 塔は十二世紀ごろに焼失したとみられるが、今回、塔跡の南側から十五世紀ごろに建てられた仏堂とみられる建物跡が見つかったほか、焼失後に盛られたとみられるがれきが出土しており、同市教委は「焼失後も周辺の住民が信仰の対象として仏堂を建て、塔跡をがれきで覆って守ろうとしたため、保存状態が良かったのでは」としている。
 森郁夫・帝塚山大教授(歴史考古学)は「おそらくさらに深い場所に塔中央の心礎も残っており、舎利などが見つかれば河内氏の財力や勢力を解明する手がかりになるだろう」と話している。
 現地説明会は二十六日午前十時―午後三時。近くの縄手北中グラウンド集合。

河内寺
 渡来系の豪族で大和政権に軍事、外交面で仕えた河内氏一族が飛鳥時代に創建。後に河内郡の郡寺となったとされる。市教委は伽藍(がらん)配置について北から南に一直線に講堂、金堂、塔、中門が並ぶ「四天王寺式」だったとみている。  

 

 河内寺

 

 

宮崎の山村に伝わる「百済王伝説」の謎 中川隆

 

 

"日本人”とするからおかしくなるんじゃなかろうか。

百済、新羅、高句麗はすべて日本人の国でした。 | 情報メディア発信局

http://news-ssu.com/post-4345-4345

 

 

こんなの見つけた

今日の内容とかぶる部分もある。

まだ途中までしか見てないけど。。。

 

 

 

 

 

ボスニア ピラミッド - Google 検索

 

 

 なんと。

山田貢司のどこに行くのか?バカボン一家 2015年08月

 

 

日本の秋田県にある「黒又山」に、似ていますね。

もしかしたら、同じグループが、建築したんじゃないかな?


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ちなみに、これが、「黒又山」です。




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ボスニアのピラミッドも黒又山も、頂上のあたりが、

プロビデンスの目」の模様のように、

草木が、カットされているように見えますね。

 

ボスニアのピラミッドに使用されている石や岩は、

日本の和歌山県にある「熊野古道」の石畳に使用されているものと、

同じだと言う研究者もいるようです。

石の組み方も、似ているそうですね。

 

ボスニアのピラミッド|精神世界の鉄人のブログ

 

 

おっとっと、、、

黒又山は確か、マンディンカ、、、、、

 

 黒又山 
クロマタヤマ クロマンタ
クロ マンデ black mande、、。

 

クシュ (クロ・黒)
国栖 九頭 葛 ...
葛 くず 葛 つづら
十九渕、、、、、、。