ジャラワ族
ハプログループDは、
今より約6万年前[1]に
アフリカ-イラン-中央アジアのいずれかにおいてハプログループDEから分岐し、
内陸ルートを通って東アジアへ向かったと考えられている[2]。
こんにち、このハプログループDは、
日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原で高頻度に観察されるほかはアジアの極めて限られた地域でしか見つかっていない。
地球上でハプログループDが人口比に対して高頻度で見つかるのは日本・チベット・ヤオ族・アンダマン諸島・フィリピン・グアム島などである。
アンダマン諸島ではD*が高頻度である。
これらのハプログループは、同じハプログループDに属していても、サブグループが異なるため、分岐してから3.5~4万年の年月が経ていることを示している[3] 。
(*は同じ変異を持つ人が見つかっていないという意味であり、まとまりを意味するものではない。)
ハプログループDは、
現在の日本や中国、朝鮮、東南アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、
その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは
分岐から7万年以上の隔たりがあり、非常に孤立的な系統となっている。
D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できるが[3]、
一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、
島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。
そのため形質人類学的には古モンゴロイド(アイノイド)の分布と相関しているようである。
なお、同じくハプログループDEから分かれたハプログループEは、
アフリカ大陸で高頻度、中東や地中海地域で中~低頻度に見られる。
またDEの子型でD系統にもE系統にも属さないDE*が
チベット人とナイジェリアなど西アフリカでごくわずかに発見されている。
ジャラワ族は、
地球上で最も孤立した種族の一つで、
最終氷河期の海面低下していた頃に陸続きのアンダマン半島に移住し、
のち海面上昇によって島となったアンダマン諸島へ取り残され、
以後、外部との接触を殆どせずに生活してきた。
ジャラワ族のY染色体ハプログループは100%がD*系統に属し、
これはチベット人に見られるD1a系統や、
日本列島に見られるD1b系統の類型であることが
近年分子生物学での研究の結果、明らかとなった
(ただし、チベット人や日本人とは6万年以上離れており、
これは中国人、韓国人、タイ人の差異より大きい。)
インド・アンダマン諸島のジャラワ族は100%東アジア系の部族であり
遺伝的にはチベット・日本人の血しか受け継いでいない
容姿は4~8万年前のアジア人の容姿であり、
黒い肌、小柄な身長、ツンツンした髪が特徴
また、
2002年まで完全に世界から隔絶されていた島だという
ハプログループDは、東アジアに住むためにアラビアから南アジアの沿海岸を通って東南アジアへ、さらに東南アジアから北方への経路を進んで移住していったと想定されるが、
現在のインド・中国(漢民族)やその他の地域では全くその痕跡が見当らない。
地球上で、ハプログループDが人口比に対して高頻度で見つかるのは日本、チベット、ヤオ族、アンダマン諸島、フィリピンマクタン島、グアム島、だけで、世界でも孤立した限られた地域でしか見つかっていない。
しかし、これらのハプログループは、同じハプログループDに属していても、
サブグループが異なるため、分岐してから数万年を経ていることを示している。
● >日本、チベット、ヤオ族、アンダマン諸島、
フィリピンマクタン島、グアム島
これはハプログループDについてであって
さらに分類したD2に至っては
沖縄から北海道まで含めた日本民族にしかない