熊野

熊野大社(くまのたいしゃ)は、島根県松江市八雲町熊野にある神社

熊野大社 - Wikipedia

 

紀伊国熊野三山も有名だが、

熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。

社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに

分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。

 

 

 

 

 

祭神は次の1柱。

  • 伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命

祭神名は素戔嗚尊の別名であるとする。

「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意、「加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意としている。

 

「熊野大神(くまののおおかみ)」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり、

実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。

「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。

 

これは『出雲国造神賀詞』に出てくる神名を採用したものであり、

出雲国風土記』には

伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。

現代では櫛御気野命と素戔嗚尊とは本来は無関係であったとみる説も出ているが、

先代旧事本紀』「神代本紀」にも「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、

少なくとも現存する伝承が成立した時にはすでに

櫛御気野命が素戔嗚尊とは同一神と考えられていたことがわかる。

明治に入り、祭神名を「神祖熊野大神櫛御気野命」としたが、

復古主義に基づいて神名の唱え方を伝統的な形式に戻したまでのことで、

この段階では素戔嗚尊とは別の神と認定したわけではない。

後の神社明細帳でも

須佐之男命、またの御名を神祖熊野大神櫛御気野命」とあり、

同一神という伝承に忠実なことでは一貫しており、

別の神とするのはあくまでも現代人の説にすぎない。

 

 

国史では、

「熊野神(熊野大神/熊野坐神)」の神階

仁寿元年(851年)に従三位

天安3年(859年)1月に正三位

貞観元年(859年)5月に従二位勲七等、

貞観9年に正二位勲七等にそれぞれ昇叙された旨が記されている。

神階 - Wikipedia

 

 

 

東北の伊勢 熊野大社

??

西暦806年(大同元年)創建。

1200年受け継がれてきた歴史がここにございます。

熊野大神様は、別名として、

イザナキノミコト・イザナミノミコトというお名前をおもちになっています。

両方のお名前に共通する「イザナ」は、

「誘(いざな)う」という言葉からきたもので、

男女の愛の言葉を表現したものです。

日本で始めての夫婦の神

御祭神

熊野大社の本殿裏に、うさぎが三羽隠し彫りされています。

いつ頃からか定かではありませんが、

うさぎを三羽見つけた人が次々と大成功を収めたことや、

恋や願い事が成就したことから、

「願いが叶う」「しあわせになれる」と言い伝えられています。

最後の三羽目は、人から聞いたり、

場所を教えてしまうとご利益がなくなると言われてきたため、

授与所で二羽目までの手引書をお渡ししております。

 熊野大社の御祭神

 熊野大社では、御本殿に熊野夫須美大神(クマノフスミノオホカミ)様、二宮(若王子)に熊野速魂大神(クマノハヤタマノオホカミ)様、三宮に熊野家津御子大神(クマノケツミコノオホカミ)様をおまつり申し上げています。  御本殿のクマノフスミホオホカミ様は女性原理による生成する生命力を、二宮のクマノハヤタマノオホカミ様は男性原理による生命力の発動を神様としておまつりしたものであり、このお二方の神様から、食料の神クマノケツミコノオホカミ様がご誕生になることを表現しております。


熊野の御祭神と神話の神々

ところで、

クマノフスミノオホカミ様はイザナミノミコトに、

クマノハヤタマノオホカミ様はイザナキノミコトに、

クマノケツミコノオホカミサマ様はスサノヲノミコトというふうに、

それぞれ古事記日本書紀の神話の神々にあてられています。  

 

こうしたことがはっきりとしてくるのは、

 

江戸時代以降のことですが、

しかし、日本人の心の底流には、こうした意識がはっきりと流れていました。

 

なんといっても、古事記が本当に読むことができるようになったのは、

 

本居宣長以降のことです。

宣長の業績によって、

熊野の大神様たちのご業績もはっきりとしてきたわけです


クマノフスミの神

熊野大社本宮にお祭りしているイザナミノミコトは、

別名を熊野牟須美大神(くまのふすみのおおかみ)

・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)と申し上げます。

 

紀州和歌山の熊野本宮大社では、第一殿(西御前)に、

熊野新宮大社では、第一殿(結宮)に、

熊野那智大社では、第四殿(西御前)にをおまつりしています。


ムスヒの神

 「ふすみ」というのは、クマノフスミ大神様を新宮大社で「結宮」におまつりし、

別名を「熊野結神」(くまのむすひのかみ)と伝えているように、

「ムスヒ」が転じたものです。  

「ムス」というのは、国歌「君が代」に、「苔ムスまで」とあるように、

ある何かが誕生し、増殖することです。

 

「ヒ」は、霊的な存在を意味します。

 

つまり、

「ムスヒ」というのは、

 

生命が誕生し、その生命力が力強く成長する、ある霊的な存在ということです。


イザナミノミコトとクマノムスヒの神

それでは、熊野大神様は、なぜ、イザナミノミコトと伝えられ、

また、クマノムスヒノ神とも伝えられたのでしょう。

ムスヒノ神は、自生する生命の根源的な原理です。

対して、

イザナミノミコトの「イザナ」は、誘う意味で、愛の言葉を神格化したものです。  

つまり、イザナミノミコトとイザナキノミコトの愛により生命が誕生するのですが、

それを、裏で支える原理が、ムスヒということなのです。

ですから、イザナミノミコトといっても

クマノフスミノカミ(クマノムスヒノカミ)といっても、

 

 

結局は同じことなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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御祭神は、熊野三山熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神々です。
また、奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになりました。

家都美御子大神/素戔嗚尊

主祭神は、熊野三山の他二社とは異なる家都美御子大神です。
昔は熊野坐神社くまのにいますじんじゃ「熊野にいらっしゃる神」と呼ばれていました。
また、造船術を伝えられたことから船玉大明神とも称せられ、古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていました。

上四社(第一殿~第四殿)にお祀りしている神々

第一殿 西御前:熊野牟須美大神、事解之男神(千手観音)
第二殿 中御前:速玉之男神薬師如来
第三殿 證証殿:家都美御子大神(阿弥陀如来
第四殿 若  宮:天照大神(十一面観音)